さて、イグナシオとの思い出を。
フランコ総統が亡くなってまもないころのこと、スペインにようやく自由の風が吹き始めたころのことです。町ではハルチャの「リベルタ・シン・イラ」我らに自由を!とでも訳せばいいのか、軽快なリズムの歌が大流行でした。どこを歩いていても、「リベルタ・リベルタ、シン・イラ・リベルタ、、」の大合唱。それはそれは内線以来30数年ぶりの自由だったのですから、スペインはまるで、、、。 さて、イグナシオとの思い出を。 南フランスの地中海沿いに、カタルーニャからスペインにはいった私たちを待ちかまえていたのは、国境警備の警官の機関銃をかまえた兵士二人。いきなりガラッと列車の扉をこじ開けて、一人が機関銃をかまえ、もう一人は大声で「パスポルテ!」気合いが入っていましたが、どこか時代を間違えたような場違いな空気が流れたのも確かでした。が、それは今だからいえること。あの当時は、それはそれは、、、 さて、イグナシオ。君にパコのことを教えられたんだよね。なんの話からだったか覚えているよ。ロックだ。ラテン・ロックだ。サンタナの話からフラメンコのはなしになって、「以前は僕もサンタナがすきだった。でも今はもう聞かない。必要ないんだ」。イグナシオは、いわゆるナショナリズムに目覚めたってわけだ。サンタナはすばらしいけれど、自分たちスペイン人にとっては、魂のよりどころはフラメンコなんだという自負。それが何となく伝わる気迫みたいなものがあの時のイグナシオにはあった。ヨーロッパにいる日本人がひとしく陥るアイデンティティの問題が、ヨーロッパの辺境、スペインにも在ったってわけだ。 イグナシオが画家だとは知らなかった。いつもスパニッシュ・ギターのケースをかかえて、そのわりにはギターを弾く姿をみかけたことがない。画家の卵はギタリストにあこがれていたのか、会うといつも熱心にパコのはなしやフラメンコのはなしをしてくれたっけ。あるとき、タブラオに連れてってやるとイグナシオが言った。タブラオなら行ったことがある、というと、どこに行ったという。観光客に有名なとあるタブラオの名前をいうと、そんなものはフラメンコじゃない、とむきになってイグナシオはつっかかった。今夜つれてってやる、12時に迎えにくるから、とかれはいって、ニヤッと笑う。なぜ12時なのかわからなかった。そんな時間にいってどうするのかわからなかったが、言うとうりに迎えにきたイグナシオにつれられて、そのタブラオの席に着いたのは真夜中の12時をまわっていた。 かるい食事をして、殺風景なステージを見た。イグナシオはなにか酒を頼んだが、ぼくは飲めないので断ると、このやろーといった顔で肘をつついたときのイグナシオの顔をいまでもおぼえている。 タブラオはフラメンコを見せる酒場のことだが、イグナシオが連れていってくれたタブラオは「カフェ・デ・チニータス」中国人のカフェ、という名のタブラオだった。観光客のすがたはとうになく、12時前には観光客もいなくなって、これからが俺たちのフラメンコなんだとイグナシオはいった。1時をすぎたころに、おもむろに歌手が出てきてかるい歌を歌いはじめる。かるいと言っても其処はフラメンコ、目じりにしわを寄せてあの熱唱である。唄は踊り手の伴奏である。この夜の踊り手は、たしかにすさまじいまでの踊りを見せてくれた。狂気と紙一重、卑猥と紙一重。猥褻と紙一重、スカートの尻をかきむしって、見るものを挑発しながら一歩いっぽと高みにのぼりつめていく。そうか、これがフラメンコなのか、と、観光客あいてのタブラオで、最後はステージに引っぱり上げられて楽しんだあのフラメンコとは似ても似つかぬフラメンコ。スペインの光と影のあわいにこの踊りはけさがけにある。それが一瞬にして実感させられたような気がした。 イグナシオはしずかだった。まるで神の前で敬虔な信徒のようにしずかだった。 「カフェ・デ・チニータス」という曲がある。ディエゴ・デル・ガストールという大歌手が生前に録音したわずかに5曲しかないという曲のなかの一曲である。もちろん、日本にはない。亡くなってもう40年近いであろうか?この曲のテープをぼくは持っている。どすのきいた声でうなるでもなく、叫ぶでもなく、ただじわじわと聴くものを虜にする。そんな歌手がいたのである。 あのタブラオの名前が、ディエゴ・デル・ガストールの曲からとられたのであろうことは日本に帰ってきてから気がついた。パコ・デ・ルシアのあのオペラ座での衝撃のコンサートも、イグナシオと別れてから日本に帰ってきて初めて聴いた。 1990年。セルビアの万国博覧会の公式ポスターガ送られてきた。イグナシオが画家であることを、その時はじめて知った。遠い記憶になって、私たちははじめて出会うことになる。
20世紀最後の年に、サンタナは復活して突然の大ヒット。それもワールドワイドなヒットに本人もびっくりでしょうが、私たちも驚いた。しかもそのメローディは昔どこかで聞いたような、、、。 今年、2002年、テレビで久しぶりにパコを見た。かわったといえばかわったし、かわらないといえばかわらない。イグナシオに初めてきかされたころのパコはフラメンコのあたらしい貴公子といった趣だったのが、今はちょっと年をとった。ソレアレスは、ソレアレス。あの時のソレアレスと違わないソレアレス。マドリッドのオペラ座でひらいたフラメンコ初のあの伝説のコンサートを超えたとは思えないが、それでもパコはパコ。 あれから20年以上の歳月が流れてもかわらないものがある。パコはパコ。サンタナはサンタナ。イグナシオはイグナシオ。僕は僕。 |